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インドネシア独立と残留日本兵|独立戦争を戦った日本人、カリバタ英雄墓地と資料館、いまの対日感情

「インドネシアの独立戦争で、日本兵が戦ったというのは本当か」「残留日本兵はどこに眠っていて、旅行で訪ねられるのか」「資料館はあるのか」。ロンボク島へ行く前に、日本とインドネシアの歴史が気になる人もいるはずです。結論から言うと、日本の敗戦後もインドネシアに残り、独立戦争でインドネシア側について戦った日本人がいたことは、研究や報道で確かめられます。名前まで分かっているのは903人で、南ジャカルタのカリバタ英雄墓地には28人の墓があり、一般の人もお参りできます。一方で、日本の占領には労務者(ロームシャ)の動員や米の強制供出といった負の面があり、受け止め方は一様ではありません。

この記事は、防衛研究所や日本国際問題研究所が公開している研究者の論考、外務省と宮内庁の公開情報、日本とインドネシアの主な報道、運営チームの YouTube 動画をもとにしています。人数や推計は出典ごとに書き、確認できなかったことは書いていません。

想定する読者は、インドネシア旅行で独立の歴史にふれる場所を訪ねたい人、残留日本兵の基本を知りたい人、現地の人と歴史の話をするときの心構えを知りたい人です。

2026年9月時点の情報

この記事でわかること

  • ✓オランダの統治から日本の占領、独立宣言、独立戦争までの流れ
  • ✓日本の占領の負の面(労務者の動員、米の強制供出)と、数字の幅
  • ✓残留日本兵の人数と残った理由、カリバタ英雄墓地のお参りのきまり
  • ✓独立宣言起草博物館、PETA博物館、バリ島のマルガラナなど、訪ねられる場所
  • ✓世論調査で見る、いまのインドネシアの対日感情

結論

残留日本兵は、日本の敗戦後もインドネシアに残り、独立戦争でインドネシア側について戦った元日本兵です。名前が分かっているのは903人で、半数ほどが戦死・行方不明になったとされます。カリバタ英雄墓地には28人が眠り、毎日6〜18時にお参りできます。日本の占領には労務者の動員や米の強制供出という負の面もあり、評価は立場や世代で分かれます。

目次

インドネシアはどうやって独立したのですか

外務省の基礎データによれば、オランダは1602年にジャワで東インド会社を設立し、1942〜1945年は日本軍が占領しました。1945年8月17日にスカルノとハッタが独立を宣言し、オランダは1949年のハーグ協定で独立を承認しました。

運営チームの YouTube(2025年8月公開の動画)で、セコトンで事業を営む中邨宏季氏は、インドネシアは約350年オランダの植民地で、その後に日本軍が約3年半占領したと説明しています。ただし「350年」には異論があります。国営アンタラ通信が2022年に載せた寄稿は、アチェやバリ島南部のバドゥン王国がオランダに降ったのは20世紀の初めだったと指摘し、歴史家G.J.レシンクがこの数字を宣伝にすぎないと反論したことを紹介しています。ロンボク島がオランダの支配下に入ったのは1894年で、支配の長さは地域によって大きく違います。

日本軍の占領は、1942年3月から約3年半続きました。防衛研究所の芳賀美智雄氏の報告によれば、ジャワは陸軍の第16軍、スマトラは第25軍、小スンダ列島などは海軍が担当し、ロンボク島は海軍の担当地域でした。

1943年10月3日、日本軍は防衛兵力の不足を補うためにジャワ防衛義勇軍(ペタ、PETA)を設けました。山川の世界史小辞典によれば、ジャワでは3万3000人の将兵が訓練され、元隊員は戦後、対オランダの独立闘争の中心となり、国軍の将校の中核になりました。

独立宣言の文は、1945年8月16日から17日にかけて、ジャカルタ中心部にあった日本海軍の前田精少将の公邸で、スカルノ、ハッタ、アフマド・スバルジョらが起草しました。この建物は、いまは独立宣言起草博物館になっています。8月17日の独立記念日のロンボク島の様子はインドネシア独立記念日(8月17日)のロンボク島で書いています。

図:オランダの統治から独立まで、日本の占領と残留日本兵

1602年 オランダが東インド会社を設立 「350年の支配」には異論がある (支配の広がりは地域で違う) 1894年 ロンボク島がオランダの支配下に 1942年3月 日本軍が占領(約3年半) ロンボク島を含む小スンダ列島は 海軍の担当地域 1943年 籾の強制供出(4月)、義勇軍(10月) 地域によっては飢餓の状況に 義勇軍(ペタ)の元隊員は、のちに国軍の中核に 占領期 労務者(ロームシャ)の動員 人数は正確には分かっていない 日本側の推計 200万〜210万人 インドネシア側の推計 400万〜410万人 1945年8月17日 スカルノとハッタが独立を宣言 宣言文は前田精少将の公邸で起草 (いまの独立宣言起草博物館) 1945〜1949年 独立戦争 残留日本兵もインドネシア側で参戦 名前が分かっているのは903人 1949年12月27日 オランダが主権を移す 1954年11月10日 カリバタ英雄墓地が開設 残留日本兵28人の墓がある 1958年 日本とインドネシアが平和条約 賠償協定も結ぶ ※黄色の枠は、占領期の負の面
図解: 本文「インドネシアはどうやって独立したのですか」「日本の占領には、どんな負の面がありましたか」などより作成(外務省、防衛研究所の研究者の報告による)

日本の占領には、どんな負の面がありましたか

芳賀氏は、日本の軍政には「光と影」、つまり正負二つの面があったとまとめています。同氏の2007年の論文は、正の遺産として独立準備の組織や軍事組織の創設、行政能力の向上を挙げ、負の遺産として経済体制の破壊、強制的な労務の徴用、日本化の強要を挙げています。

労務者(ロームシャ)について、芳賀氏の報告は、失業者を強制的に徴用したり、訓練の名目で人を集めてそのままトラックに乗せたりする強引な手段も使われたようだと書いています。多くの人が島の外に送られ、戦後に帰れなかった人も少なくないと言われます。

動員された人数は正確には分かっていません。推計には次のような幅があります。

  • 日本側の推計は200万〜210万人、インドネシア側の推計は410万人(京都大学の『東南アジア研究』に1995年に載った論文)。芳賀氏の報告も、インドネシア側の見積もりでは400万人にのぼるとも言われる、としています
  • インドネシアの歴史教科書の間でも、「数千人」から「数百万人」まで書き方が違う(同じ1995年の論文)

食糧の面では、1943年4月から籾(もみ)の強制供出が課されました。芳賀氏は、多くの農民には生きるための籾さえほとんど残らず、地域によっては飢餓の状況を生んだと書いています。

中邨氏も動画で、日本の統治には鉄道建設などの労働で過酷だった面があり、年配の世代には厳しい記憶を語る人もいる一方、義勇軍などが独立のきっかけになったと評価する人も多いと話しています。

日本政府は1995年の村山内閣総理大臣談話で、植民地支配と侵略によって、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えたとし、痛切な反省の意と心からのおわびの気持ちを表明しています。日本とインドネシアは1958年に平和条約と賠償協定を結んでいます。

独立戦争はどんな戦いでしたか

独立宣言のあと、オランダは支配を取り戻そうとし、独立戦争は1945年8月から1949年末まで続きました。主権が移されたのは1949年12月27日です。

オランダの研究機関による4年がかりの調査は、オランダ側の極端な暴力がこれまで認められてきたより大きな規模で使われていたと結論づけ、ルッテ首相(当時)が2022年2月17日にインドネシアの人々に謝罪しました。米誌ザ・ディプロマットは、インドネシア側の死者を約10万人、オランダ側(現地の補助兵を含む)を約5,300人と伝えていますが、推計は資料によって違います。

2023年6月には、ルッテ首相が1945年8月17日の独立を「完全に、留保なく」認めると述べましたが、政府の報道官は法的な意味はないと説明しています。

残留日本兵とはどんな人たちですか:人数・残った理由・その後

中邨氏も動画で、独立戦争では残留日本兵もインドネシア側で戦い、英雄としてジャワ島などの墓地に祀られていると話しています。人数は出典によって次のように違います。

  • 名前まで分かっているのは903人(二松学舎大学の林英一氏、日本国際問題研究所のサイト、2023年7月)
  • 約900人が参戦し、531人が戦死・行方不明、324人が生き残ってインドネシア国籍を取り、45人が日本へ帰った(じゃかるた新聞、2014年8月)
  • 独立派に加わった旧日本軍の軍人・軍属は約1000人で、半数が戦死・行方不明になったとされる(東京新聞、2023年6月)

残った理由はひとつではありません。林氏によれば、独立の大義に殉じようとした人、土地勘があり現地の言葉ができた人のほか、流言飛語を信じた人、戦犯として処刑されるのを恐れた人、拉致・監禁された人もいました。戦いでは武器の改造や修理、若者への軍事訓練、ゲリラ戦などを担いました。

生き残った人たちは1979年に互助団体「福祉友の会」をつくりました。最後の元残留日本兵とされた小野盛さんは、2014年8月25日に東ジャワ州で94歳で亡くなり、州内の英雄墓地に埋葬されました。

ドキュメンタリー制作者の小西晴子氏はヤフーニュースの記事で、日本兵が独立戦争に参加した事実は教科書に載っておらず、ほとんど知られていないと書き、残留日本兵の孫が「侵略者の孫」といじめられた経験を紹介しています。

カリバタ英雄墓地はどんな場所で、訪ねられますか

カリバタ英雄墓地(Taman Makam Pahlawan Kalibata)は、南ジャカルタのパンチョラン区、Jalan Raya Kalibata No.14 にあります。独立戦争で亡くなった人たちを追悼するため、1954年11月10日の「英雄の日」にスカルノ大統領が開きました。2026年8月の報道では、1万300人を超える人が眠るとされています。

林氏の論考とじゃかるた新聞によれば、ここには残留日本兵28人の墓があります。林氏は山野五郎、前川辰治らがカリバタに眠り、ほかの残留日本兵は地方の英雄墓地に葬られていると書いています。2023年6月20日には、天皇皇后両陛下がこの墓地を訪れ、5本の竹やりをかたどった白い中央慰霊碑に花を供え、2分間の黙とうをささげました。

一般の人もお参りできます。インドネシアの報道によるきまりは次のとおりです(2026年9月時点)。

  • 開いている時間:毎日6〜18時。公式行事や国の式典のときは閉まることがあります
  • 入口の詰め所で芳名帳に記入し、求められたら身分証(旅行者はパスポート)を見せます
  • 服装はきちんとした控えめなものにし、足元も場にふさわしい履物にします
  • 門を出入りするときは、慰霊碑の方を向いて敬意を表します
  • 団体で訪ねる場合は、1週間前までに社会省へ書面で申し込みます

日本人の墓が墓地のどの区画にあるかは確認できませんでした。詰め所で尋ねてください。

資料館や、ほかに訪ねられる場所はありますか

残留日本兵だけを扱う資料館は、調べた範囲では確認できませんでした。日本では、一般財団法人日本インドネシア協会がウェブサイトで「インドネシアと日本の歴史~残留日本兵の記憶と記録~」という資料を公開しています。現地で訪ねられる場所は次のとおりです。

独立宣言起草博物館(Museum Perumusan Naskah Proklamasi)は、ジャカルタ中心部メンテン地区の Jalan Imam Bonjol No.1 にあります。前田少将の公邸だった1920年代のアール・デコ様式の建物で、起草の場面を実物大で再現したジオラマなどが展示されています。インドネシアの報道によれば、開館は火〜日曜の8〜16時で、月曜と祝日は休みです。入館料は報道によって金額が違い、確認できませんでした。

PETA博物館(Museum PETA)は、西ジャワ州ボゴール市の Jalan Jenderal Sudirman No.35 にあり、1995年12月18日にスハルト大統領が開きました。ペタの結成と独立への関わりを伝えるジオラマなどを展示しています。軍の訓練施設の敷地内にあり、開館日と料金は資料によって違うため確認できませんでした。

バリ島では、タバナン県マルガのマルガラナ国民英雄公園(Taman Pujaan Bangsa Margarana)が、デンパサールの北西約25kmにあります。デティック・バリの2025年11月の記事で地元の村長は、1946年11月20日のマルガラナの戦いで、グスティ・ングラ・ライの部隊とともに戦った日本人13人が亡くなったと話しています。墓標はングラ・ライの墓の後ろにあり、インドネシア名やバリの名前が刻まれ、小さな日本の国旗が添えられています。開館時間と料金は確認できませんでした。

ロンボク島では、残留日本兵ゆかりの場所は確認できませんでしたが、占領期の日本軍の遺構が報じられています。IDN Times は2023年11月、東ロンボク県スカロ村のタンジュン・リンギットに日本軍が使ったとされる洞窟が約7つあり、大砲や兵舎の跡もあること、手入れされずに傷み、リゾート開発を進めるスウェーデンの投資会社が修復を始めたことを伝えています。同じ村の海岸はロンボク島ピンクビーチ徹底ガイドで紹介しています。ギリ・トラワンガンでは2013年、日本軍が残した長さ6mの砲身を住民が掘り出したと国営アンタラ通信が伝えましたが、いまどこで見られるかは確認できませんでした。

日本からロンボク島へは、バリ島経由のほかジャカルタ経由の便もあります(日本からロンボク島への行き方)。ジャカルタで乗り継ぐ日程にすれば、カリバタ英雄墓地と独立宣言起草博物館を同じ日に組み込めます。

図:残留日本兵の人数と、訪ねられる場所

残留日本兵の人数(出典によって幅がある) ・名前が分かっている人 903人(林英一氏、2023年) ・約900人が参戦、531人が戦死・行方不明(2014年) ・約1000人、半数が戦死・行方不明(2023年) 訪ねられる場所(2026年9月時点) 南ジャカルタ カリバタ英雄墓地 残留日本兵28人の墓がある 毎日6〜18時、詰め所で芳名帳に記入 ジャカルタ中心部 独立宣言起草博物館 前田精少将の公邸だった建物 火〜日曜8〜16時、月曜と祝日は休み 西ジャワ州ボゴール PETA博物館 義勇軍(ペタ)の結成と独立の展示 軍の敷地内。開館日と料金は確認できず バリ島タバナン県 マルガラナ国民英雄公園 1946年の戦いで亡くなった日本人13人の墓標 開館時間と料金は確認できず ロンボク島東部 タンジュン・リンギット 日本軍が使ったとされる洞窟が約7つ 占領期の遺構。傷んでいると報道 ※残留日本兵だけを扱う資料館は確認できなかった
図解: 本文「残留日本兵とはどんな人たちですか」「資料館や、ほかに訪ねられる場所はありますか」などより作成(研究者の論考と報道による)

いまのインドネシアの人は、日本をどう見ていますか

外務省が2026年3月に公表した2025年度のASEAN対日世論調査(オンライン調査、各国300人、18〜59歳)では、インドネシアの回答者の71%が日本との関係を「とても友好関係にある」、27%が「どちらかというと友好関係にある」と答えました。日本を「とても信頼できる」は63%、「どちらかというと信頼できる」は34%です。「とても」の割合は、どちらもASEAN全体の46%を上回ります。

国際交流基金の2024年度の調査では、インドネシアの日本語学習者は732,914人で、9割近くが中学・高校の段階です。中邨氏は動画で、ロンボク島にも日本語を話せる人がたくさんいて、アニメなど日本の文化が好きな若い世代も多いと話しています。ただ、旅行中に日本語で用が足りる場面はかぎられます。

この調査は占領期の歴史をどう見るかを直接聞いたものではなく、先に書いたとおり、占領期の記憶は世代や家族によって違います。親日と言われる背景はインドネシアの人はなぜ親日?ロンボクの村で感じる日本との距離で扱っています。

セコトン現地からのひとこと

8月17日の前後には、ロンボク島でも独立を祝う行事があり、動画で中邨氏たちが招かれたササクの伝統の戦い、プレセアンもその一つでした。歴史の話になったら、「日本兵が独立を助けた」という話だけを持ち出さず、相手の家族がどう語り継いでいるかを聞くほうが会話が続きます。慰霊の場では、写真を撮る前に周りの様子を確かめてください。

歴史をたどる旅はどんな人に向きますか:先に弱点から

ロンボク島の中だけでは、残留日本兵の歴史をたどる旅にはなりません。主な場所はジャカルタ、ボゴール、バリ島にあり、1〜2日の寄り道が必要です。

展示に日本語の説明があるかは確認できませんでした。墓地は式典の日に閉まることがあり、博物館は月曜が休みです。歴史の評価は分かれていて、「日本人は感謝されている」と期待して行くと戸惑うかもしれません。

向いているのは、ジャカルタでの乗り継ぎに半日から1日の余裕を作れる人、独立の歴史を現地で知りたい人、現地の人の話をまず聞いてみたい人です。

よくある質問

Q. インドネシアの残留日本兵は何人いたのですか。

出典によって幅があります。名前まで分かっているのは903人で、報道では約900人とも約1000人とも言われ、半数ほどが戦死・行方不明になったとされます。

Q. カリバタ英雄墓地には日本人旅行者でも入れますか。

一般の人もお参りできると報じられています。毎日6〜18時で、入口の詰め所で芳名帳に記入し、求められたら身分証を見せます。

Q. 残留日本兵の資料館はありますか。

専門の資料館は確認できませんでした。独立の歴史を扱う場所として、ジャカルタの独立宣言起草博物館とボゴールのPETA博物館があります。

まとめ

インドネシアは1945年8月17日に独立を宣言し、1949年末まで続いた独立戦争を経て主権を得ました。その戦いにはインドネシア側について戦った日本人がいて、カリバタ英雄墓地には28人が眠っています。

一方で、日本の占領期には労務者の動員や米の強制供出があり、その推計には大きな幅があります。いまの日本への好感は高いものの、占領期の記憶は立場や世代で違います。訪ねるときは慰霊の場のきまりを守り、現地の人の話に耳を傾けてください。

動画で見る|独立記念日に話したインドネシアの歴史と、ササク族のプレセアン

独立記念日にインドネシアの歴史を話し、ササク族の伝統の戦い「プレセアン」に招かれた回です(運営チームの YouTube「ロンボク島で町づくり」より)

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この記事が根拠にした情報
  • 運営チームの YouTube「ロンボク島でしか見られない ササク族伝統の戦い「プレセアン」に招待されました」2025年8月23日公開(中邨氏によるオランダ統治・日本の占領・独立宣言・独立戦争と残留日本兵の説明、占領期の記憶、ロンボク島の日本語を話す人とアニメ好きの若い世代、独立を祝う行事としてのプレセアン)https://youtu.be/-e3Ber0U4wc
  • 外務省「インドネシア共和国 基礎データ」(1602年の東インド会社設立、1942〜1945年の日本軍の占領、1945年8月17日の独立宣言、1949年のハーグ協定、1958年の平和条約・賠償協定)https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/indonesia/data.html
  • ANTARA News「Tentang mitos Indonesia dijajah 350 tahun」2022年8月4日(350年説への異論、1602年、アチェとバドゥンの服属時期、G.J.レシンク)https://www.antaranews.com/berita/3039321/tentang-mitos-indonesia-dijajah-350-tahun
  • Wikipedia「Dutch intervention in Lombok and Karangasem」(1894年にロンボク島がオランダの支配下に入ったこと)https://en.wikipedia.org/wiki/Dutch_intervention_in_Lombok_and_Karangasem
  • 林英一「インドネシアの英雄墓地に眠る残留日本兵の話」日本国際問題研究所、2023年7月(名前が分かる903人、1942年3月から約3年半の占領、カリバタの28人の墓標、1954年開設、中央慰霊碑、残った理由、役割、東ジャワの約30人、福祉友の会、1945年8月から1949年末までの独立戦争)https://www.jiia.or.jp/jic/TheirMajestiesVisitIndonesia20230706.html
  • 林英一「インドネシアの英雄墓地に眠る残留日本兵の話」(PDF版)https://www.jiia.or.jp/jic/2023/07/230703_Hayashi.pdf
  • 芳賀美智雄「インドネシアにおける日本軍政の実態 -その光と影-」防衛研究所 戦争史研究国際フォーラム報告書、2007年(陸海軍の担当地域、ロームシャの集め方とインドネシア側の見積もり400万人、籾の強制供出、光と影)https://www.nids.mod.go.jp/event/proceedings/forum/pdf/2007/forum_j2007_06.pdf
  • 芳賀美智雄「インドネシアにおける日本軍政の功罪」防衛研究所『戦史研究年報』2007年3月(正負の遺産、1943年10月3日の義勇軍設置、1943年4月の籾の強制供出と飢餓の状況、ロームシャの人数が正確に分からないこと)https://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/200703/3.pdf
  • コトバンク「郷土防衛義勇軍」山川 世界史小辞典 改訂新版(ジャワで66大団3万3000人が訓練されたこと、戦後の役割)https://kotobank.jp/word/郷土防衛義勇軍-3130635
  • 左藤正範「インドネシアの歴史教科書における「ロームシャ」について」『東南アジア研究』32巻4号、1995年3月(日本側推計200万〜210万人、インドネシア側推計410万人、教科書間の数字の違い)https://kyoto-seas.org/pdf/32/4/320405.pdf
  • 外務省「村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」」1995年8月15日https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html
  • The Diplomat「Dutch PM Apologizes for Atrocities Committed During Indonesian Independence War」2022年2月(ルッテ首相の謝罪、1949年12月の承認、死者の推計)https://thediplomat.com/2022/02/dutch-pm-apologizes-for-atrocities-committed-during-indonesian-independence-war/
  • DutchNews.nl「Dutch used excessive violence in Indonesia: Rutte apologises」2022年2月17日(4年がかりの調査、極端な暴力、謝罪)https://www.dutchnews.nl/2022/02/dutch-used-excessive-violence-in-indonesian-independence-struggle-research/
  • DutchNews.nl「NL recognises August 1945 as Indonesian independence date」2023年6月15日(1945年8月17日の承認、法的な意味はないという説明、1949年12月27日の主権移譲)https://www.dutchnews.nl/2023/06/nl-recognises-august-1945-as-indonesian-independence-date/
  • じゃかるた新聞「最後の元残留日本兵 死去 小野盛さん、享年94歳 英雄墓地に埋葬」2014年8月(小野盛さんの死去と埋葬、約900人・531人・324人・45人)https://www.jakartashimbun.com/free/detail/19919.html
  • 東京新聞「残留日本兵 苦難の歴史知って 天皇皇后両陛下、17日からインドネシア訪問」2023年6月15日(約1000人、半数が戦死・行方不明)https://www.tokyo-np.co.jp/article/256797
  • 小西晴子「「侵略者の子孫」と言われて――インドネシア社会に残る占領の傷と向き合う、残留日本兵の孫」ヤフーニュース エキスパート(教科書に載っていないこと、孫が受けたいじめ)https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/cf1c1627a4adc880f410057a5efe851362442113
  • 宮内庁「インドネシアご訪問(令和5年)」(2023年6月20日のカリバタ英雄墓地ご供花)https://www.kunaicho.go.jp/watch/activity/schedule01/2023idn/
  • じゃかるた新聞「平和思う気持ち受け継ぐ 2分間の黙とう カリバタ英雄墓地」2023年6月21日(残留日本兵28人の埋葬、2分間の黙とう)https://www.jakartashimbun.com/free/detail/63451.html
  • detikNews「Sejarah Taman Makam Pahlawan Kalibata, Syarat Pemakaman dan Aturan Ziarah」2022年9月20日(住所、1954年11月10日の開設、お参りの手順)https://news.detik.com/berita/d-6302458/sejarah-taman-makam-pahlawan-kalibata-syarat-pemakaman-dan-aturan-ziarah
  • kumparan「Apakah Taman Makam Pahlawan Dibuka untuk Umum?」2024年9月(一般公開、時間、服装、団体の申し込み)https://kumparan.com/seputar-jakarta/apakah-taman-makam-pahlawan-dibuka-untuk-umum-23URwjsRerx
  • CNN Indonesia「Wisata Sejarah Sambil Ziarah ke Taman Makam Pahlawan Saat HUT ke-81 RI」2026年8月(時間、閉まる日、芳名帳と身分証、服装、眠る人の数)https://www.cnnindonesia.com/gaya-hidup/20260815221020-269-1392825/wisata-sejarah-sambil-ziarah-ke-taman-makam-pahlawan-saat-hut-ke-81-ri
  • 一般財団法人日本インドネシア協会「インドネシアと日本の歴史~残留日本兵の記憶と記録~」https://www.japinda.or.jp/zanryuunihonheinokioku
  • Indonesian Heritage Agency「Museum Perumusan Naskah Proklamasi」(1945年8月16日の起草、1920年代のアール・デコ様式の建物)https://iha.kemenbud.go.id/portfolio/museum-perumusan-naskah-proklamasi/
  • Good News From Indonesia「Museum Perumusan Naskah Proklamasi, Rumah Laksamana Maeda dan Saksi Bisu Kemerdekaan」2025年12月28日(住所、前田少将の公邸、起草した人、展示、開館日と時間)https://www.goodnewsfromindonesia.id/2025/12/28/museum-perumusan-naskah-proklamasi-rumah-laksamana-maeda-dan-saksi-bisu-kemerdekaan
  • JawaPos「Wisata Edukasi Museum Perumusan Naskah Proklamasi: Jam Operasional, Rute, hingga HTM」(開館日と時間、休館日。入館料は前項の記事と金額が違う)https://jawapos.com/travelling/2510190154/wisata-edukasi-museum-perumusan-naskah-proklamasi-jam-operasional-rute-hingga-htm
  • Wikipedia「Pembela Tanah Air Museum」(ボゴール、1995年12月18日の開館)https://en.wikipedia.org/wiki/Pembela_Tanah_Air_Museum
  • Java Travel「Museum Peta」(住所、軍の訓練施設の敷地内、展示。時間と料金は記載が食い違う)https://www.javatravel.net/history/museum-peta
  • detikBali「Kisah 13 Pejuang Jepang yang Gugur Bersama Ngurah Rai」2025年11月25日(日本人13人、墓標の場所と名前、日本の国旗)https://www.detik.com/bali/bali-bungah/d-8226341/kisah-13-pejuang-jepang-yang-gugur-bersama-ngurah-rai
  • Bali.com「Museum Monumen Nasional Taman Pujaan Bangsa Margarana」(タバナン県マルガ、デンパサールの北西約25km)https://bali.com/places/museum-monumen-nasional-taman-pujaan-bangsa-margarana/
  • IDN Times NTB「Gua Peninggalan Jepang di Lombok Dipugar Investor Swedia」2023年11月28日(タンジュン・リンギットの洞窟、40mの通路、大砲と兵舎、傷み、修復)https://ntb.idntimes.com/news/ntb/gua-peninggalan-jepang-di-lombok-dipugar-investor-swedia-00-ldn3d-lyckp0
  • ANTARA News「Meriam Peninggalan Jepang」2013年11月(ギリ・トラワンガンの長さ6mの砲身)https://www.antaranews.com/foto/56286/meriam-peninggalan-jepang
  • 外務省「令和7年度ASEANにおける対日世論調査結果」2026年3月13日(調査方法、対象、インドネシアとASEAN全体の回答)https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100993589.pdf
  • 外務省「海外における対日世論調査」(令和7年度調査の概要へのリンク)https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/pr/yoron.html
  • 国際交流基金「日本語教育 国・地域別情報 インドネシア(2025年度)」(2024年度調査の学習者数732,914人、中等教育の割合)https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/2025/indonesia_2.pdf
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島巡りの朝、浜に立つ人と船

SEMELAR BEACH VILLAGE

ロンボク島セコトン村の海辺に泊まる

ロンボク国際空港から車で約1時間10分。海辺のヴィラと、船頭の舟で島を巡る3泊4日の滞在プログラム。日本語で相談できます。

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