ロンボク島の歴史|ササクの王国、バリの支配、ロンボク戦争、日本の占領、世界遺産はある?

「ロンボク島にはどんな歴史があるのか」「ロンボク戦争とは何だったのか」「日本とは関係があるのか」「世界遺産はあるのか」。ロンボク島やギリ島へ行く前に島の背景を調べると、こうした疑問にぶつかります。

結論から言うと、ロンボク島はササク(Sasak)の人々の島で、東部のイスラムの王国の時代、18世紀からのバリ島の王家による支配、1894年のオランダの遠征(ロンボク戦争)、1942〜45年の日本の占領を経て、インドネシアの一部になりました。観光地として開かれたのは1980年代からで、2018年には大きな地震がありました。島に世界遺産はなく、リンジャニ山一帯が2018年にユネスコ世界ジオパークに認定されています。

この記事は、百科事典、学術論文、インドネシアと海外の報道、政府やユネスコのページなど、実際に開いて確かめた情報だけをもとにしています。主な年号は2つ以上の出典で確かめ、出典が1つしかない年号や出典で分かれる年号は、出典名を添えて書きます。戦争や占領は、起きたことだけを書きます。

想定する読者は、ロンボク島やギリ島への旅行を考えていて、島の成り立ちを知っておきたい人です。

2026年10月時点の情報

この記事でわかること

  • ✓13世紀から2018年までのロンボク島の歴史を、2枚の年表で
  • ✓1257年のサマラス火山の噴火と、滅んだと伝わる王都パマタン
  • ✓バリの王家の支配と、1894年のロンボク戦争で起きたこと
  • ✓日本の占領期(1942〜45年)と、独立後の州の成り立ち、観光の始まり
  • ✓世界遺産はあるのか。島で歴史をたどれる場所

結論

ロンボク島は、もとはササクの人々の島です。1257年にリンジャニ山の隣にあったサマラス火山が大噴火し、16世紀末には東部のスラパラン王国がイスラム化しました。18世紀からはバリ島東部のカランアスムの王家が島を治め、1894年にオランダが遠征してその支配を終わらせました。1942〜45年は日本軍が占領し、独立後の1958年に西ヌサ・トゥンガラ州の一部になります。島に世界遺産はありませんが、リンジャニ山一帯は2018年にユネスコ世界ジオパークに認定されました。

目次

ロンボク島の歴史を年表で見ると、どんな流れか

ロンボク島の歴史は、ササクの人々の王国の時代、18世紀からのバリの王家の時代、1894年からのオランダと1942年からの日本の支配の時代、独立後の4つに分けると見通しがよくなります。まず独立前の流れです。

図:独立前のロンボク島(13世紀〜1894年)

1257年 サマラス火山の大噴火 王都パマタンが滅んだと伝わる 1365年 古い詩にロンボクの名 マジャパヒト王国の時代の詩 16世紀末 スラパラン王国がイスラム化 東部の王国。18世紀に滅びる 1640年 マカッサルの支配下に ブリタニカ百科事典による 18世紀 バリのカランアスムが支配 始まりの年は資料で分かれる 1843年 島の王家がオランダと契約 4つの王国の一つマタラム 1891年 ササクの人々が蜂起 王家の軍との戦いが続く 1894年 オランダの遠征と王宮の陥落 11月、チャクラヌガラが落ちる
図解: 本文で紹介した出典にもとづく。バリの支配が始まった年は資料によって1675年・1723年・1740年と分かれる。

独立前後から現在までは次の通りです。観光地としての歴史は長くありません。

図:独立前後から現在まで(1942年〜2018年)

1942年 日本軍の占領が始まる 小スンダ列島は海軍の担当 1945年 インドネシアが独立を宣言 8月17日。スカルノとハッタが宣言 1946年 東インドネシア国の一部に 12月24日に発足した国 1949年 オランダが独立を承認 ハーグ協定による 1958年 西ヌサ・トゥンガラ州が発足 州都はマタラム 1970年代 ギリ・トラワンガンに定住 1980年代から旅行者が訪れる 2011年 ロンボク国際空港が開港 10月1日。島の中部 2014年 マンダリカが経済特区に 2022年にMotoGPを初開催 2018年 ジオパーク認定と大地震 4月に認定、7〜8月に地震
図解: 本文で紹介した出典にもとづく。日本軍がロンボク島に上陸した日付や場所は資料によって書き方が違う。

ササクの人々と、最初の王国の時代はどうだったのか

ロンボク島の住民の多くはササクの人々です。ブリタニカ百科事典は、ササクの人々をマレー系とし、もとは島の唯一の住民だったと説明しています。話す言葉はササク語で、バリ語などと同じオーストロネシア語族に属します。どこからいつ渡ってきたのかを、はっきり示す資料は確認できませんでした。

文字の記録に島の名が出てくるのは14世紀です。1365年にジャワ島のマジャパヒト王国で書かれた詩『ナーガラクルターガマ(Nagarakretagama)』にロンボクとササクの名が記され、この一帯がマジャパヒトの勢力圏に含まれていたことが、インドネシア教育文化省系の学術誌の論文(2019年)などで説明されています。

イスラム教が伝わった時期には、13〜14世紀、16世紀末〜17世紀初め、16世紀の3つの説があります(tirto.id、2023年)。同じ記事によると、東部のスラパラン(Selaparang)王国は16世紀末にイスラム化して有力な王国になり、18世紀に滅びました。ブリタニカ百科事典は、1640年にはすでにスラウェシ島のマカッサルのスルタンの支配下にあったと書いています。島の宗教の成り立ちはロンボク島の宗教の記事で詳しく扱っています。

この時代より前、島の歴史を大きく変えた出来事があります。1257年のサマラス(Samalas)火山の噴火です。いまのリンジャニ山と同じ火山群にあったサマラス火山が大噴火し、そのあと山が崩れて巨大なくぼ地(カルデラ)ができました。いまのスガラ・アナック湖は、このカルデラのなかにあります(Good News From Indonesia、2026年)。

フランスとインドネシアの研究者のチームは2013年、米国の学術誌 PNAS に、長く出どころが分からなかった1257年の大噴火の火山がサマラスだったとする論文を発表しました(The Conversation、Good News From Indonesia)。手がかりの一つが、ヤシの葉に古いジャワ語で書かれた『ババッド・ロンボク(Babad Lombok)』です。この記録は、噴火で当時の王都パマタン(Pamatan)が滅んだと伝えています。

米国地球物理学連合の Eos(2022年)によると、パマタンの場所はまだ見つかっていません。ババッドは伝承と事実が混ざった記録で、まとめられたのは噴火から数百年後の18〜19世紀とみられています。

バリの王家は、いつからどのようにロンボク島を治めたのか

18世紀には、バリ島東部のカランアスム(Karangasem)の王家がロンボク島の西部から勢力を広げ、島を治めるようになりました。ただし、始まりの年は資料によって違います。Good News From Indonesia(2022年)は1675年にカランアスムの王がスラパランを破ったとし、tirto.id(2023年)は1723年にスラパランがバリとスンバワの連合軍との戦いに敗れたと書き、英語版ウィキペディアは1740年としています。ブリタニカ百科事典は「18世紀から」としています。

ブリタニカ百科事典によると、バリの勢力は島に4つの王国を置き、そのうちの一つマタラムが1843年から1872年までオランダと契約を結んでいました。英語版ウィキペディアは、マタラムの王家が1838〜39年ごろに島全体を治めるようになったと書いています(項目によって1838年と1839年に分かれます)。王宮は、いまのマタラム市内のマタラムとチャクラヌガラ(Cakranegara)にありました。

この時代の建物は、いまもマタラムに残っています。ロンボク島で最大のヒンドゥー寺院プラ・メル(Pura Meru)は、インドネシア政府観光局が18世紀の建立とし、CNN インドネシア(2018年)は1720年の建立としています。近くのマユラ(Mayura)の庭園は、CNN インドネシアが1744年の造営とし、英語版ウィキペディアは1866年としていて、年ははっきりしません。

1894年のロンボク戦争では何が起きたのか

ロンボク戦争は、1894年にオランダ領東インドの軍がロンボク島に遠征し、バリの王家の支配を終わらせた戦いです。ブリタニカ百科事典は、マタラムの王家によるササクの人々への圧迫と、バリ島の政治への介入が、オランダの介入を招いたと説明しています。

オランダの研究者ディルク・テーウェン氏の論考と英語版ウィキペディアによると、1891年にササクの人々が王家に対して蜂起し、王家の軍との戦いが続きました。ササクの首長たちはオランダに助けを求め、1894年、オランダ軍がアンペナンの近くに上陸しました。

同じ2つの資料によると、1894年8月25日の夜、チャクラヌガラに置かれたオランダ軍の野営地が王家の側の攻撃を受け、遠征軍の司令官ファン・ハム(van Ham)少将が戦死し、軍はいったん退きました。オランダ側の死者の数は資料によって大きく違うため、この記事では書きません。

オランダ軍は増援を得て攻撃を再開し、9月末からマタラムを攻め、11月にはチャクラヌガラの王宮を落としました。年老いた王は家族とともにバタビア(いまのジャカルタ)へ送られ、1895年5月にそこで亡くなりました。ブリタニカ百科事典によると、これでバリの支配は終わり、ロンボク島はオランダの直接の支配下に入りました。

このとき王宮から持ち去られた金や銀の品は「ロンボクの財宝」と呼ばれ、アムステルダム国立美術館(Rijksmuseum)は1894年にオランダ領東インド軍(KNIL)が持ち去ったものと説明しています。オランダ政府は2023年7月、この財宝をインドネシアへ返すと発表し(ジャカルタ・ポスト)、同じ年にインドネシアへ返されました(アムステルダム国立美術館)。

注意

  • 年号が資料で分かれることがあります:バリの支配の始まり(1675年・1723年・1740年)や、マユラの庭園の造営年は、出典によって違います。ガイドの説明や現地の看板と食い違っても、どちらかが誤りとは限りません。
  • 返された財宝が見られる場所:2023年に返された「ロンボクの財宝」が、いまどこで展示されているかは確認できませんでした。見たい場合は、訪問前に博物館へ問い合わせてください。

日本の占領期(1942〜45年)、ロンボク島はどうなっていたのか

インドネシアは1942年から1945年まで日本軍に占領されていました(外務省「インドネシア基礎データ」)。防衛研究所の芳賀美智雄氏の報告によると、ジャワとスマトラは陸軍が、小スンダ列島などは海軍が軍政を担当しました。ロンボク島は小スンダ列島の島です。

インドネシアの学術誌『Humanitas』の論文(2023年)は、日本軍が1942年5月12日に島の東部のラブハン・ハジに上陸し、ロンボクの占領が始まったと書いています。英語版ウィキペディアは同じ年の3月9日に艦隊がアンペナンの港に入ったと書いており、上陸の日付や場所は資料によって書き方が違います。

同じ論文によると、占領期には住民が労働に駆り出され(ロームシャ)、農作物が取り立てられました。行政の仕組みも変わり、インドネシアの報道サイト detikBali は、西ロンボクが「ブンケン(Bunken)」と呼ばれる行政区分になったと伝えています。ギリ・トラワンガンについては、英語版ウィキペディアが見張りの拠点と捕虜の収容所が置かれたと書き、ジャカルタ・ポスト(2012年)は、トラワンガンはササクの言葉で「トンネル」を意味し、1940年代に日本軍が島に築いた防衛用の穴を指すという住民の話を紹介しています。

独立戦争と日本の元兵士の関わりは、インドネシア独立と残留日本兵の記事で扱っています。

独立後、ロンボク島はどのように今の姿になったのか

日本の降伏後、1945年8月17日にスカルノとハッタがインドネシアの独立を宣言しました(外務省)。ロンボク島にはオランダの勢力が戻り、『Humanitas』の論文によると、1946年12月24日に発足した東インドネシア国(Negara Indonesia Timur)の一部になりました。1949年、ハーグ協定によりオランダがインドネシアの独立を認め、オランダとの独立戦争が終わりました(外務省)。

今の州の形ができたのは1958年です。1958年8月に定められた法律(1958年第64号)で、バリ、西ヌサ・トゥンガラ、東ヌサ・トゥンガラの3つの州がつくられました(インドネシア会計検査院の法令データベース)。ロンボク島は、東のスンバワ島とともに西ヌサ・トゥンガラ州に入り、州都はマタラムです。

観光の開発が始まったのは1980年代半ばと英語版ウィキペディアは書いています。大きな節目は2011年10月1日、マタラムのスラパラン空港に代わり、島の中部にロンボク国際空港が開いたことです(detikNews、アンタラ通信)。2014年には南部のマンダリカが観光の経済特区に定められ(インドネシア税務総局、レプブリカ)、2022年にはマンダリカのサーキットで初めて MotoGP が開かれました(2023年が2回目。レプブリカ)。

2018年は、島にとって大きな年でした。4月にリンジャニ山一帯がユネスコ世界ジオパークに認められ(アンタラ通信、レプブリカ)、その3か月後に大地震が続きました。国連の人道支援サイト ReliefWeb によると、7月29日にマグニチュード6.4、8月5日にマグニチュード7.0の地震があり、8月19日にも強い地震が起きました。一連の地震の死者は、インドネシア国家防災庁(BNPB)の集計で564人です。40万人以上が避難しました。旅行者の備えはロンボク島の地震と津波の記事にまとめています。

ギリ島には、どんな歴史があるのか

ギリ・トラワンガン、ギリ・メノ、ギリ・エアの3島は、人が住むようになってからの歴史が短い島です。ガジャ・マダ大学の研究者の論文(2023年)は、ギリ・トラワンガンには1970年代から住民が暮らしていると書いています。英語版ウィキペディアは、真水が乏しかったことが定住の遅れた理由だとし、1971年に当時の知事がヤシの農園を開いたと書いています。

旅行者が訪れ始めたのは1980年代で、隣のバリ島の観光の広がりを受けて、バックパッカーが来るようになりました(英語版ウィキペディア)。2011年には、ギリ・トラワンガンが国の観光戦略地域(KSPN)に指定されています(同論文)。

ロンボク島に世界遺産はある?歴史をたどれる場所は

ロンボク島に世界遺産はありません。ユネスコ世界遺産センターのインドネシアのページには、2026年10月時点で10件の世界遺産と21件の暫定リストが載っていますが、ロンボク島を含む西ヌサ・トゥンガラ州のものはありません。近くの世界遺産はコモド国立公園(1991年登録)です。

「世界遺産」と混同されやすいのが、2018年に認定されたユネスコ世界ジオパークです。世界遺産とは別のユネスコの仕組みで、リンジャニ山一帯が対象です。1257年の噴火でできたカルデラとスガラ・アナック湖は、リンジャニ山国立公園のなかにあります。

島の歴史を見て歩ける場所を表にまとめます。

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場所どの時代の何がわかるか確認できたこと
西ヌサ・トゥンガラ州立博物館(マタラム)地質、考古、民俗、歴史の資料。リンジャニ山を扱う地質の展示棟がある常設展示は2026年8月から約4か月かけて改装中。改装中も開館(2026年7月の報道)
プラ・メル(チャクラヌガラ)バリの王家の時代に建てられた、島で最大のヒンドゥー寺院18世紀の建立(政府観光局)。いまも祈りの場
マユラの庭園(チャクラヌガラ)バリの王家の庭園。1894年の戦いの場にもなった造営年は資料で分かれる(1744年とする報道と、1866年とする資料がある)
スガラ・アナック湖(リンジャニ山)1257年のサマラス火山の噴火でできたカルデラの湖湖まで行くには登山が必要。入山の条件は時期によって変わる

※根拠欄の出典にもとづく。2026年10月時点。営業時間や見学の条件は変わることがあります。

州立博物館は、インドネシア政府観光局のページ(掲載日の記載なし。2026年10月時点で掲載)では、マタラムのパンジ・ティラル・ヌガラ通り6番地にあり、月曜10:00〜16:00、火〜木曜8:00〜16:00、金曜8:00〜17:00、土日8:00〜13:00、祝日休館、外国人の入館料は7,000ルピア(約60円、1万ルピア≒90円、2026年9月時点)です。ただし、ラジオ局 RRI(2026年7月)によると常設展示は改装中で、展示品は仮の展示室に移されています。完成は2026年12月17日をめざしています。開館時間や展示の状況は、出かける前に確かめてください。

セコトン現地からのひとこと

マタラムの寺院や庭園を回るときは、金曜の昼の礼拝の時間帯を避け、車の手配を前日までに具体的な時刻で決めておくと動きやすくなります。寺院では入口で服装と入ってよい範囲を確かめ、儀礼の最中は撮影を控えてください。年号や由来の説明はガイドによって違うことがあります。気になる点は、どの資料にもとづく説明かを聞いてみると、食い違いの理由がわかることがあります。

歴史を見て歩く旅先として、ロンボク島は向いているか

先に弱点を書きます。ロンボク島には世界遺産がなく、ジャワ島のボロブドゥール遺跡のような大きな遺跡を見て回る旅には向きません。歴史を伝える場所は数が多くなく、州立博物館は2026年10月時点で常設展示の改装中です。歴史の見学を旅の中心にしたい人には、ジャワ島やバリ島の方が向いています。

一方で、海や山で過ごしながら、ササクの人々の暮らしや、イスラムとヒンドゥーが近くにある島の成り立ちに関心がある人には、ロンボク島は向いています。マタラムではバリの王家の時代の寺院や庭園を見られ、リンジャニ山に登れば、1257年の噴火がつくった湖を自分の目で見られます。

南西部のセコトンは、地元のササクの人たちが暮らす漁村です。Semelar Beach Village はこの村で、ササクの人たちと浜のカフェ(SAKURA CAFE、10:00〜22:00、月曜定休)や市場、ビーチクラブを運営しています。いま申し込めるのは3泊4日〜5泊6日の滞在プログラムで、日本語で相談できます。

よくある質問

Q. ロンボク島に世界遺産はありますか。

ありません。2026年10月時点で、ユネスコの世界遺産にも暫定リストにも、ロンボク島を含む西ヌサ・トゥンガラ州のものは載っていません。リンジャニ山一帯は2018年にユネスコ世界ジオパークに認定されていますが、世界遺産とは別の仕組みです。

Q. ロンボク戦争とは何ですか。

1894年にオランダ領東インドの軍がロンボク島に遠征し、島を治めていたバリの王家の支配を終わらせた戦いです。1891年からのササクの人々の蜂起がきっかけで、11月にチャクラヌガラの王宮が落ちました。

Q. 日本とロンボク島には歴史的なつながりがありますか。

1942年から1945年まで、ロンボク島を含むインドネシアは日本軍に占領されていました。ロンボク島でも住民の労働への動員や農作物の取り立てがあったと、インドネシアの論文は書いています。

Q. ギリ島の歴史は古いのですか。

人が定住した歴史は短く、ギリ・トラワンガンでは1970年代からとされています。旅行者が訪れ始めたのは1980年代です。日本の占領期に見張りの拠点が置かれたとする資料や、日本軍の壕を島の名の由来とする住民の言い伝えがあります。

まとめ

ロンボク島は、ササクの人々の島です。1257年のサマラス火山の噴火、16世紀末のスラパラン王国のイスラム化、18世紀からのバリの王家の支配、1894年のオランダの遠征、1942〜45年の日本の占領を経て、独立後の1958年に西ヌサ・トゥンガラ州の一部になりました。観光地としての歴史は1980年代からで、2011年に新しい空港が開き、2018年には大地震がありました。

島に世界遺産はなく、リンジャニ山一帯がユネスコ世界ジオパークです。歴史をたどれる場所はマタラムの寺院や庭園、州立博物館に集まっています。年号は資料によって分かれることがある点に注意してください。

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この記事が根拠にした情報
  • Encyclopaedia Britannica「Lombok」https://www.britannica.com/place/Lombok
  • Encyclopaedia Britannica「Sasak」https://www.britannica.com/topic/Sasak
  • The Conversation「Indonesia’s Samalas volcano may have kickstarted the Little Ice Age」(2013年)https://theconversation.com/indonesias-samalas-volcano-may-have-kickstarted-the-little-ice-age-18772
  • Eos(米国地球物理学連合)「Stories Scribed on Palm Leaves Help Scientists Understand Ancient Eruption」(2022年12月19日)https://eos.org/articles/stories-scribed-on-palm-leaves-help-scientists-understand-ancient-eruption
  • Good News From Indonesia「Penemuan Gunung Samalas」(2026年7月28日)https://www.goodnewsfromindonesia.id/2026/07/28/penemuan-gunung-samalas-kisah-ekspedisi-ilmiah-prancis-mengungkap-gunung-berapi-terdahsyat-di-lombok
  • Abdullah Maulani「Merak, Ikan, dan Singandarung」Jentera 8(2)(2019年。1365年のナーガラクルターガマとロンボク)https://ojs.badanbahasa.kemdikbud.go.id/jurnal/index.php/jentera/article/download/1524/1004
  • tirto.id「Pemakaman Kuno Selaparang, Jejak Kerajaan Islam di Pulau Lombok」(2023年4月13日)https://tirto.id/pemakaman-kuno-selaparang-jejak-kerajaan-islam-di-pulau-lombok-gEMs
  • Good News From Indonesia「Tradisi Hindu dan Kilas Balik Kedatangan Migran Bali ke Pulau Lombok」(2022年3月4日)https://www.goodnewsfromindonesia.id/2022/03/04/tradisi-hindu-dan-kilas-balik-kedatangan-migran-bali-ke-pulau-lombok
  • Wikipedia(英語版)「Kingdom of Karangasem」(補助)https://en.wikipedia.org/wiki/Kingdom_of_Karangasem
  • Wikipedia(英語版)「Dutch intervention in Lombok and Karangasem」(補助)https://en.wikipedia.org/wiki/Dutch_intervention_in_Lombok_and_Karangasem
  • Dirk Teeuwen「Lombok Expedition 1894」https://www.indonesia-dutchcolonialheritage.nl/lombokhistory/Lombok.pdf
  • インドネシア政府観光局「Pura Meru Cakranegara」https://www.indonesia.travel/gb-en/destination/bali-nusa-tenggara/west-nusa-tenggara/pura-meru-cakranegara/
  • CNN Indonesia「Destinasi Wisata Mataram Siap Sambut Obor Asian Games」(2018年7月22日)https://www.cnnindonesia.com/gaya-hidup/20180722170317-269-316105/destinasi-wisata-mataram-siap-sambut-obor-asian-games
  • Wikipedia(英語版)「Mayura Park」(補助)https://en.wikipedia.org/wiki/Mayura_Park
  • The Jakarta Post「Dutch to return colonial treasures to Indonesia, Sri Lanka」(2023年7月6日)https://www.thejakartapost.com/world/2023/07/06/dutch-to-return-colonial-treasures-to-indonesia-sri-lanka.html
  • アムステルダム国立美術館(Rijksmuseum)「Exhibiting colonialism」https://www.rijksmuseum.nl/en/research/our-research/overarching/provenance-research-colonial-collections/exhibiting-colonialism
  • 外務省「インドネシア基礎データ」https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/indonesia/data.html
  • 芳賀美智雄「インドネシアにおける日本軍政の実態」(防衛研究所)https://www.nids.mod.go.jp/event/proceedings/forum/pdf/2007/forum_j2007_06.pdf
  • Wijaya ほか「The Struggle of TGH Mahsun in Fighting for Independence in East Lombok, 1942-1946」Jurnal Humanitas 9(2)(2023年)https://e-journal.hamzanwadi.ac.id/index.php/jhm/article/download/36556/8836/215283
  • detikBali「Sejarah Singkat Kabupaten Lombok Barat」https://www.detik.com/bali/nusra/d-6910822/sejarah-singkat-kabupaten-lombok-barat
  • The Jakarta Post「Gili Trawangan: A hidden paradise」(2012年3月18日)https://www.thejakartapost.com/news/2012/03/18/gili-trawangan-a-hidden-paradise
  • インドネシア会計検査院 法令データベース「UU No. 64 Tahun 1958」https://peraturan.bpk.go.id/Details/52333
  • Wikipedia(英語版)「Lombok」(補助)https://en.wikipedia.org/wiki/Lombok
  • Wikipedia(英語版)「Gili Islands」(補助)https://en.wikipedia.org/wiki/Gili_Islands
  • Fitria・Setiawan「Pola Perilaku Wisatawan di Pulau Kecil: Gili Trawangan, Lombok」(2023年、ガジャ・マダ大学)https://journal.uib.ac.id/index.php/jad/article/download/7670/3214
  • detikNews「Bandara International Lombok Resmi Gantikan Selaparang」(2011年10月1日)https://news.detik.com/berita/d-1734609/bandara-international-lombok-resmi-gantikan-selaparang
  • ANTARA「Bandara Selaparang Ditutup Mulai 1 Oktober」(2011年8月19日)https://www.antaranews.com/berita/272445/bandara-selaparang-ditutup-mulai-1-oktober
  • インドネシア税務総局「Melihat Sisi Lain Sirkuit Mandalika」(2022年2月14日)https://www.pajak.go.id/id/artikel/melihat-sisi-lain-sirkuit-mandalika
  • Republika「ITDC Sebut KEK Mandalika Terus Dikembangkan」(2023年10月3日)https://ekonomi.republika.co.id/berita/s1y92m457/itdc-sebut-kek-mandalika-terus-dikembangkan
  • ANTARA English「UNESCO designates Mount Rinjani as global geopark」(2018年4月14日)https://en.antaranews.com/news/115351/unesco-designates-mount-rinjani-as-global-geopark
  • Republika「Unesco Tetapkan Rinjani Jadi Geopark Dunia」(2018年4月15日)https://news.republika.co.id/berita/p786ef384/unesco-tetapkan-rinjani-jadi-geopark-dunia
  • ReliefWeb(国連人道問題調整事務所)「Indonesia: Earthquakes – Jul 2018」https://reliefweb.int/disaster/EQ-2018-000122-IDN
  • Tempo English「BNPB: Lombok Quake Recovery Costs Rise to Rp2.6tn」(2018年9月。BNPB の集計で少なくとも564人が死亡、8割超が北ロンボク県)https://en.tempo.co/amp/921537/bnpb-lombok-quake-recovery-costs-rise-to-rp2-6tn
  • ユネスコ世界遺産センター「Indonesia」https://whc.unesco.org/en/statesparties/id
  • インドネシア政府観光局「Museum Negeri Nusa Tenggara Barat」https://www.indonesia.travel/us-en/destination/bali-nusa-tenggara/west-nusa-tenggara/museum-negeri-nusa-tenggara-barat
  • RRI「Permanent Exhibition Space at NTB Museum Revitalizes After 16 years」(2026年7月14日)https://rri.co.id/en/archipelago/2566028/permanent-exhibition-space-at-ntb-museum-revitalizes-after-16-years
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